キャタック・ダンス・プラザ10周年記念ディナーショー ➆

パーティーの始まり ~さながら忘年会か打ち上げのごとく~

 ショーが終わると、着替えを終えた こおろぎの皆さんが、14番テーブルまで挨拶をしに来てくれました。もう、それだけでも、パーティーに参加したファンたちが幸せだったこと、分かってもらえますよね? 「今日はどうもありがとう」とも言ってもらえましたが、でもそれは私たちの言うセリフですよー!
 私はこのとき、挨拶やショーの感想を、ちゃんとお伝えできたかどうか全然覚えてません。こおろぎの皆さんを前にして舞い上がっていたようです。相変わらず進歩がないなあと反省…。しかも、その後みんなで花束やお土産を渡したり、サインを貰ったり、一緒に写真を撮っていただいたり、しっかりミーハーはしてきたという有様でした。こおろぎの皆様、本当にありがとうございました。

 そんな風に、テーブル横で こおろぎ女たちが こおろぎに遊んでもらっているうちに、ステージ上ではジャンケン大会が始まりました。キャタックの先生たちが用意したプレゼントをかけて、先生と会場の全員がジャンケンをするゲームです。こおろぎ女たちは、みいさん曰く”渋々”席に着き、こおろぎとお別れしました。そして、ゲームに参加していました。
 だけど、しばらくして私がハッと気付くと、料理を乗せた皿を持った さとさん、津島さんが、自分の目の前の席に着かれようとしているではありませんか。横で「どうぞ、どうぞ」と言っている草吉くん。(後に聞いたところによると、お食事をするために空いている席を探していたらしき お2人に、一世一代の勇気をふりしぼって声を掛けたそうです。草吉くん、ブラボー!) 8人がけのテーブルに、こおろぎファンは6人。14番テーブルは、ちょうど予約したかのように2席空いていたのです!
 そして、席に着かれた さとさん、津島さんと、「おつかれ~」なんて言いながら乾杯までさせていただいた瞬間、ジャンケン大会のことは、どこかに吹き飛んでしまいました。だって、目の前で津島さんがローストビーフを食べてるんですよ。さとさんがビール飲んでるんですよ~。な、な、なんか、合コンみたーい!<バカモーン
 岸さんはというと、ご家族と一緒にちょっと離れたテーブルにいらっしゃいました。ジャンケン大会にもきちんと参加されてました。でも、そのゲーム後(?)、さとさんの横にいらっしゃってからは、そこでずっと立ちっぱなしのまま、お話に参加してくれたのでした(感謝)

 ああ…、こんなに幸せなファン達がいてもいいのでしょうか? たとえ無視されても、ボディーガードに阻まれても、写真・サインが禁止でも、大好きなアーティストに向かって黄色い歓声をあげ、黒いものを白いと言われれば白だと思い、こっちを見られただけで目が合ったと思い込んだり、貰ってもらえなくてもイベントごとにプレゼントを用意したり、まるで金魚のウンコ(失礼)のごとく付きまとうのが、ミーハー・ファン道だと思うのに(<何かに変な影響受けている)、現実との この幸せなギャップが恐ろしくさえあります。

 以下、そのときにお話していただけたエピソードを、つれづれに書かせていただこうと思います。

教えて貰ったこと ~「オレと水車」、「歌はともだち」、スクールメイツ~

 こおろぎ女たちは、テーブルに着かれた さとさん、津島さんに にじり寄っていくようにしてお話を聞いてきました。さとさん側に岸さん、Otomiさん、みいさん。津島さん側に草吉くん、金太郎さん。真ん中(テーブル挟んでお2人の正面)にいた私は、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ…と。
 元々は、かむいさんが さとさんの隣の席でしたが、かむいさんが いない隙に、その席を詰めて さとさんに寄っていったので、かむいさんの帰ってくる席がなくなってしまったんですよね。おかげで、Otomiさんも みいさんも、さとさんの手を握り放題だったようです。かむいさん、煩悩の塊たちでゴメンナサイ。
 それから、「もう、全然食べる暇がなくてね~」と、お食事する場を求めてやって来られたはずの さとさん、津島さんでしたが、食べたり飲んだりされていたのって、本当に最初の最初だけだったような気がします。その後はずっとファンの餌食にしてしまって、たくさんお話していただきました。結局、最後まで”全然食べる暇がなくてね~”でしたよね。こおろぎの皆さん、強欲こおろぎ女たちばかりで、本当にゴメンナサイ。ずっと笑顔でお付き合いいただいて、本当にありがとうございました!

 以下、直接お話を聞いていた人の記憶にも頼りつつ、テーマごとにまとめてみようと思います。

「オレと水車」
 「デューク・エイセスって歌が上手いよね」という話題が出たときに、さとさんが、6年ぐらい前に岸さんと一緒に和田昭治先生からコーラスのレッスンを受けていた、という話をされました。
 そして、和田先生の歌唱指導は厳しかった、タンバリンやスティックで殴られていた…と、話題の背景が、デビュー頃に遡りました。そこでOtomiさんが、もうずっと長い間気になっていた、さとさんが こおろぎ’73に参加したキッカケを質問したのです。結成メンバーの、岸さん、津島さん、まきさんは、ヤング101で、和田先生の歌唱指導も受けていたので、それ繋がりだとは思っていたのですが、私たちの中では、さとさんの正体だけ不明だったんです。

 さとさんは、大学3年の頃に渋谷のジァンジァンで歌われていたんだそうです。「マックはシャンソンだけど、自分はフォーク…」って仰ってました。そのジァンジァンで古株になって、言いたいことが言えるようになってきた頃には、店で歌う歌手のオーディション審査もされていたそうです。さとさんに選ばれた歌手の皆さんには、私の怪しげな記憶によると、井上陽水さん、忌野清志郎さん、五輪真弓さん…(泉谷しげるさんも入っていた?)という、今では誰でも知ってるだろうと思われる名前が並んでいて、こおろぎ女はビックリだったのでした。

みいさんからのご指摘によると、選んだ歌手は1人で、他の方々とは一緒に歌っていただけでは…ということらしいです。すみません、記憶があやふやで(^^;) (2005.1.9)


 だけど、続く話…、その頃に まきさんと組んでフォークグループ「オレと水車」を結成されたというのを聞いて、その倍はビックリした私たちでした。
 「ステージ101」のLP「若い旅」の中に、ヤング101メンバー紹介が出ていますが、その中の まきさんの欄に『現在、フォーク・グループ「オレと水車」をつくってガンバッテいまーす。よろしく。』という言葉が書かれているのです。その謎のグループの片割れが、さとさんだったなんて!!!
 いったい、どちらが「オレ」で、どちらが「水車」なんですか? やっぱり、さとさんが「水車」ですか? …と、Kanameが馬鹿なことを言い出すよりも早く、さとさんは「こんな怪しい歌があって…」と、水車の歌(タイトル不明)を ひとくさり歌われました。「オレと水車~…♪」その歌が由来のグループ名だったそうです。そのまんま。さとさんも、そのまんまだと自己ツッコミされてました。

 その後、まきさんがヤング101に入ることになって、「オレと水車」は活動休止していたそうです。
 が、1972年の「花咲じいさん」の頃、和田先生から、「俺に一年だけ命を預けてくれ」とお呼びが掛かり、そうして こおろぎ’73の面々が集められたのだそうです。な、な、なんか凄い誘い文句じゃないですか!? 理屈ぬきでカッコイイーと思ってしまいました。

「歌はともだち」
 この話、Kanameは直接聞いてないので、みいさんからの又聞きレポートです。
 元は、みいさんが岸さんに、”アメリカに行ってなにかしたいというインタビューを見たことがあります”という話をしていたそうなんですが、それを横で聞いていた さとさんが、岸さんがアメリカに行ってNHKのTV番組に穴をあけ、それでNHKを干されたという話を暴露されたそうです。
 岸さんが こおろぎ’73を抜けられた時期というのも長い間 謎でした。上野さんが入るまでの間に3人の時期があったということは、みいさんが持っていたNHK番組「歌はともだち」のエアチェックで分かっていたんですけどね…。
 みいさんは、当時のNHKということで、もしや?と思ったそうです。そして、穴をあけた番組名を確かめてみたそうです。すると、その問題の放送も「歌はともだち」だったのでした。しかも、穴をあけたという その放送が、みいさんの持っている3人で出演されたときの回だったのでした。

 その放送回には、もうひとつ印象的な事件があったそうです。「コットンフィールズ」を歌われたときに音を外して大変だったとのこと。
 実は、これのエアチェック音源を、みいさんから聴かせていただいたことがありますが、糸の切れた凧のような勢いで、メロディーラインが空の彼方に飛んで行きそうになってました。私には、その凧の糸を さとさんが無理矢理繋ぎとめて地上に戻したように聴こえていましたが、このとき、さとさんも焦って音が分からなくなったのだそうです。救世主は、ギターで正しい音を出してくれた田中星児さんだったのでした。

 そんなこんなで、それ以前はNHKでの仕事もいろいろあった こおろぎ’73でしたが、それ以降、首になってしまったのだそうです。
 みなさん、穏やかに話されてましたが…、当時は笑えない深刻な話だったのではと思います。NHKを干されるだなんて、グループの方向性も変えてしまうような大事件だったのでは? そういう話を普通にしていただけるなんて、そして、サイトにも書いて良いって言って貰えるなんて、ありがたいことです。そして、そういう事件を乗り越えて、今すごく仲良しな皆さんが、とても素敵に思えました。

スクールメイツ
 この話は私が津島さんに振りました。プロフィールに「15才のときにスクールメイツに」と書かれてある津島さんと、「1968年からスクールメイツに」と書かれてある上野さんは、もしかして同期なんじゃないかな…と思っていたので、それを確かめてみたかったのです。
 津島さんはアッサリと「そうなんだよ~」と仰ってました。
 津島さんがスクールメイツに入られたのは、歌のレッスンのためだったそうです。上野さんは事務所(渡辺プロ?)に登録されていた関係でメイツに参加…という話でした。
 その後、津島さんは101に。上野さんはマシンガン・ブラザーズを結成されました。

 しばらくの時が経ち、1977年に3人となった こおろぎ’73は新しいメンバーを探すことになるわけですが、このときに上野さんを紹介したのが、津島さんだったそうです。さとさんから「誰か面白い奴いないかなー」と言われて、津島さんが「そういえば、変わった奴がいる!」と、当時、マシンガン・ブラザーズを解散されて歌のお仕事の無かった上野さんのことを思い出したという話でした。
 面白い奴、変わった奴って…、これ全て 津島さんのお言葉ですからね。私が言っているわけじゃないですからねー! でも、そうなんだろうなあとは思ってますが。
 それにしても、そういう探し方だったから、ベースの岸さんの代わりにテナーの上野さんが入る…なんてことになったんだなあと納得してしまいました。というか、パート以外の点で見ても、全くもって 岸さんの代わりじゃないですよね。丸っきりの新キャラ登場という感じ。それとも、もしかして、岸さんも面白い奴、変わった奴だったのでしょうか???
 キャラクターで仮採用された上野さんは、その後、歌でもOKが出て、正式に こおろぎ’73の一員となられたそうです。

 ということで、お二人は同期の、古い長い付き合いなんだそうです。大学も同じところに行ったそうです。なんだか、お二人の仲が良さげな理由が、ちょっと垣間見えたような気がしました。今でもたまに連絡とりあってるそうです。

その他もろもろ
 ちらと話しに出ていましたが、こおろぎ’73のキャラクター(中村泰敏さんデザインの緑色のアレ)の おもちゃが、当時売り出されていたそうです。うう、コレクター心が騒ぎます。全然売れなかったそうですが…どこかに売れ残ってないでしょうか…。
 この話は、えのころ工房さんの漫画に、こおろぎ’73のコオロギ・キャラクターが登場するのを歓迎されての、津島さんからの話題でした。
 こおろぎ’73キャラクターのイラストといえば、さとさんからも「インターネットや漫画とかでイラストにして貰って嬉しい」というお話をしていただきました。さとさんの事務所には、去年のライブ・レポートに描き添えたラクガキがプリントアウトされて貼られたことがあると、笑われてました。
 えのころ工房さんの可愛いキャラクターは何の問題もないとして、Kanameのサイト内にあるキャラクターやミニミニシアターって、今後も増やしていってもいいんですかねえ…。<止められなかったので調子に乗る可能性大

 津島さんは、草吉くんと金太郎さんに、「僕は3丁目の電柱です」を歌ってくれたそうです。草吉くんは、こおろぎ’73の歌声が いかに子どもの心に残るかを力説したくて この歌を話題に出したのだそうですが、津島さんがいきなり歌ってくれたため、ビックリして言い出す機会を逃したそうです。なので、ここに勝手に書いておきます。
 津島さん曰く、「これは南らんぼうさんの歌なんだよ。南さんは、自然にあの素朴さがでるんだけど、ボクでは自然には無理なんだよね。だからあれを歌うのは大変だったよ」
 そうなんですか? 津島さんの歌声に滲み出ている素朴さや朴訥な雰囲気って、そんなに無理をされているようには聴こえてませんでしたよね!?>こおろぎ’73ファンのみなさん

 それから、私は見逃したシーンなんですが、さとさんがテーブルに着かれたとき、横にいた かむいさんが すかさず、さとさんのナフキンを広げたんだそうです。素早いフォロー…と思いきや、かむいさんは、さとさんの首にナフキンを巻いて散髪屋さんの真似事をしたとか。「どうされますか?」というボケに「耳のところを…」と乗るさとさん! こおろぎ女の中では、MCコントよりも面白かったと、そんな意見が出ておりました。

 今回のレポートには、岸さんの登場回数が少ないですけど、それは いらっしゃらなかったからではなくて、ずっと傍で見守っていてくれたからです。(私がお話した内容といったら、脈絡もなくカブトムシの話でしたし。<何を考えていたのか我ながら謎)
 帰り際に、緊急のことがあったときのためにと連絡先を教えてくれて、そのお気持ちが すごく嬉しかったです。岸さんのお言葉のお陰で、最後の最後まで夢見るようなクリスマス気分で過ごせました。岸さん、ありがとうございました。

 最後に、一番印象的だった話題を…。
 テーブルに着かれてすぐに、さとさんは、これまでの こおろぎ’73の活動を振り返られて、自分たちを卑下しているかのように、強く反省の言葉を仰っていました。自分たちの、音楽に向き合ってきた姿勢やファンに対する態度に、厳しい駄目出しをされたのです。
 私たちの前で そういう話をしてくれるというのが驚きだったのと、そんなにご自分を責めないでほしいという気持ちが相まって、私は、何も言うことができませんでした。だって、「アニメソングをバカにしていた部分がある」とか「ファンを大事にしてこなかった」だなんて、信じられませんもの。バカにしていたんじゃなくて、大事にしてなかったんじゃなくて、その言葉は、もっともっとやればできたはずだという強い気持ちの裏返しですよね!?
 みいさんが さとさんから教えて貰ったところによると、合いの手は、こおろぎ’73の方から「入れてもいいですか?」と頼んで入れていたのだそうです。こおろぎ’73と聞けば多くの人が頭にえがく あの奇声の数々は、こおろぎ’73の皆さん自身で作り上げた世界だったのです。たまには「うるさい」と言われるほど入れていたとか。そこだけ聞いても、お仕事に対する姿勢というのが分かるじゃないですか!

 それともうひとつ、深く反省されている理由として、今現在のファン数は、これまでの自分たちの姿勢が反映されたからだという思いがあるのかなとも感じました。(でもまさか、これまでの活動の結果が、こおろぎ女6人だなんて極端なことは思ってらっしゃいませんよね!?)
 私は、「あなた達、マニアだよ」という言葉をいただいたとき、マニアと言われるのは嬉しい反面、”こおろぎ’73ファンは珍しい”という意味だとしたら反論しなくちゃなあと思っていました。思っていただけで、口を挟む隙が無かったんですが…。
 こおろぎ’73と一緒に冬眠していたファンは大勢いますよね! ネットをしないファンだって大勢いるだろうし。そして、私がそうであったように、大人になって初めて、子どものときに心の中に蒔かれていた こおろぎ’73の種が大きく育っていることに気付く者もいるのです。子どもを育ててきた こおろぎ’73の歌の結果が出るのは、もしかしたらこれからなのかもしれませんね!?

 そんなことを考えつつ、さとさん、津島さんが自分を責められるのを、私はハラハラしながら聞いていたのですが、だけど、さとさんの言葉は、「自分のやっていた事に責任を持たなきゃねって思ったんだよ」と続きました。過去の自分を責めつつも、その反省を未来に生かそうとされている、そんな熱い言葉だったのです。
 お話をされている間中、さとさんの真剣な眼差しが、とても印象的でした。これから新しいことを始めようとされている、その決意みたいなものを感じました。そして、ファンの想いも、しっかり受け止めてもらえたように感じたのでした。
 さとさんは、去年9月にお会いしたときとは、全然別人のようでした。音楽に対する理想や、将来の夢について熱く語られる さとさんに見つめられて、私はドキドキしてしまいましたよ!


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