2002年10月2日 ➁

はじめまして  ~猪のごとく(?)押しかけたKaname…~

 10月2日、コンサート会場の久世町エスパスホールには、夕方4時半には着いていました。開場は6時15分だというのに!
 家からは車で2時間そこそこだと分かっていたのですが、なんとなく早く着いてしまったんです。ホール周辺は平日だということもあって閑散としていました。

 さて、開場時間が迫ってきた頃、楽屋口に出たり入ったりするホール・スタッフを見ながら緊張していると、そこに知り合いのおばさまがやってきて、「会いたいなら楽屋に入っていけばいいやん~」と言い放ちました。

 今回のコンサートは、ウィーンからやってきたクトロヴァッツ兄弟のピアノ・デュオ・コンサートでした。要するに、楽屋にはコンサートを控えたクトロヴァッツ兄弟もいらっしゃるのです。そんなところへ入っていけるわけないじゃないですか。私は、運良く岸さんが楽屋から出ていらしたら声を掛けるぐらいの気持ちで、ロビーでソワソワしていたのです。

 すると、さきほどのおばさまが、スタッフのお兄さんを捕まえて言ったのです。「すいませ~ん、ちょっとお会いしたい人がいるんやけど…呼んできてもらえません?」
 ギャ~~~と声を上げて逃げ出してしまいたかったです。
 お兄さんは、側で固まっている私に向かって「お知り合いですか」と訊きました。「いや…知り合いっていうほどの者じゃ… ないんです…けど」と消え入るような声で答える、怪しさ全開の私。それをかき消すように、おばさまは「知り合いです」と断言してしまいました。おかげで(?)、こっちの名前を確認したお兄さんは、本当に岸さんを呼びに楽屋に入っていってしまったのです。
 その場に取り残された私は、思いがけない展開に、逃げ出したい…だけど、呼び出しておいて逃げるなんて最低だ…と、その場をグルグルしながら胃の縮む思いでした。

 数分もしないうちに、楽屋口からスタッフと共に岸さんが現れました。深々とお辞儀された岸さんは開口一発「初めまして~岸です~」…って。そ、それは知り合いの挨拶じゃないですよね。私は、あたふたとメールのお礼などなど言いつつ、ドッと変な汗をかいてしまいました。

 ところで、どうでもいいことを付け加えるならば…、このとき私がスタッフのお兄さんに名乗った苗字が岡山訛りだったせいで、それがそのまま伝わったのか、その後、岸さんまで岡山訛りで私の名を呼んでくれました。

 挨拶の後、持参したお土産を手渡しました。その間、岸さんの後ろ…楽屋口の扉に張り付くようにして、スタッフのお兄さんが事の成り行きを見守っていたのですが、(知り合いではなさそうだけど)危険人物ではなさそうだと判断されたのか(!?)、そっと楽屋の方へ消えて行かれました。良かった、追い払われなくて。

 その後は、コンサートが始まるまでの間ずっと、岸さんと楽屋入り口の前で立ち話させていただきました。岸さんから、思いつくままに こおろぎ’73時代の思い出や個人的なお話などを語っていただく形でした。その内容は、抜粋して「覚え書き」で報告させてもらった通りです。
 岸さんはこの日、新幹線と津山線、姫新線を乗り継いで久世町まで来たのだと仰ってました。たいへんな乗車時間です。なのに、ずっと立ちっぱなしでお話していただいて、申し訳なかったなあと思ってます。しかも、私が渡したお土産の袋を持ちっぱなしで…。
 いまさらですが、お疲れ様でした。

 さて…、コンサート開演時間が迫ってきて、そろそろお別れするべき場面かなと思っていたら、岸さんが「それじゃ~さ、これ(と、クトロヴァッツ兄弟宛のお土産が入った紙袋を持ち上げて)、自分の手で渡した方が彼らも喜ぶだろうから、コンサートが終わったら楽屋の方に来てよ」と仰るじゃないですか。「『お疲れ様でしたー』なんて言いながら、(楽屋に)サッと入って来ちゃえば大丈夫だからさ」というお言葉を聞いて、コンサート後も会えるんだ~と感激したKanameでありました。そして岸さんに荷物を預かってもらい、「楽しんできてください」なんて言葉も頂きながら、ホール内へと向かったのでした。

 コンサートに関しては、「旧掲示板過去ログ」に感想を書いてます。
 第1部と2部の間の休憩時間には、岸さんと調律士の方?が舞台上に出ていらして、次に演奏する曲の楽譜の準備などをされていましたっけ…。譜面立てに置いた楽譜が、岸さんが舞台裏へ引いた後に床に落ち、ピアノの下に滑り込んでいったのでハラハラする…という場面もありました。<勝手に私が気にしていただけで、ピアニスト登場と同時に無事拾い上げられたんですけどね。


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