ヤング101 復活コンサート ➄

<写真撮影>
 さて、なんとかカメラを引っ張り出してくることができ、岸さん、Otomiさん、草吉くん、Kanameの4ショット写真を撮ってもらうことになりました。
 相変わらず、汗だくな私。なのに、ハンカチは行方不明のままでした。
 9月のときは「草吉くんの肩に津島さんの手がぁ~!」…な~んて大騒ぎしていた こおろぎ女ですが、それを知ってか知らずか、今回は岸さんが私の肩に手を! きゃ~~~~~~っ!!<落ち着け~
 おかげで、興奮しすぎで汗流すだけじゃ足りず、眼鏡が曇ってしまったのでした。
 撮影してくれた そらぴちさん、良い記念になりました。ありがとう!!

後日談…前の日にリハーサル風景をパノラマモードで写していたので、カメラが そのままの設定になっていて、4ショット写真もパノラマモードでできあがってきました。どアップ! あまりに大きく、くっきりと写りすぎていて、シワも汗も眼鏡の曇りも二重顎も、全て隠しきれませんでした。こ、これは…誰にも見せずに闇に葬り去りたい写真かも…。一緒に写って頂いた岸さんにも送る勇気がありませんでした。<なんて、ここでばらしちゃったヤブヘビ発言のせいで、岸さんから「見たい」とツッコミを頂きました
 それからハンカチは、鞄ではなくズボンのポケットにて発見。がーん。

<ド近眼>
 こおろぎ女たちが岸さんを独占しているような状態でもいいのかなあと心配になってきた頃に、マグノリアさんがやってきて「道草の歌」の話題を出してくれました。こおろぎ’73オリジナルソングの この歌を、かつて「お昼のプレゼント」というNHKの番組にヤング101卒業生と和田昭治先生が出演されたとき、黒沢裕一さんと藤島新さんのソロで歌われていたという話でした。
 それから、容子さんもいらっしゃって、「(岸さんが以前掛けられていた)眼鏡はどうされたんですか?」と質問されていました。私、あの眼鏡(「花咲じいさん」EPジャケット参照)って伊達だと思っていたんですけど、違ったんですね。「右がド近眼だったんだけど…」という話でした。内心密かに、私も右がド近眼なんです~と喜んでしまいました。<共通点が嬉しいというファン心理
 現在 岸さんは「遠近両用になっちゃってる」んだそうです。右は近視。左は遠視だそうです。
 ということは、このサイトのテキストは非常に読みにくいかもしれません。でも…PCの文字サイズは個々に変えることができるので、いっか…。今度、いつか手紙を送るときには、大きく太い字で書こうと心に誓ってしまいました。

<まきのりゆきさん>
 その後、岸さんが会場を見渡しながら、「まきとは話をした? どこにいるかなあ…」と、こおろぎ’73結成時にメンバーだった、まきのりゆきさんを探してくれました。その時 まきさんは、少し離れたテーブルで女性ファンに囲まれて和気藹々と談笑されていたのですが、「呼んでくるよ」と岸さんが、そのテーブルから まきさんを呼び出して来ちゃったのでした。き、恐縮です~。
 まきさんは こおろぎサイトのことをご存知で、しかも、1年半ぐらい前に私が出した手紙(=サイトを作っていますという挨拶)のことも覚えてくれていたのでした。ちゃんと届いていたんですね! で、「手紙をもらって、電話しようと思ったんだけど、そのままになっちゃってたんだけど…」とおっしゃるじゃありませんか。ひゃ~~~。もし本当に電話してもらっていたら、心臓が止まっていたに違いありません。

 その話を聞いて動揺したせいか、掲示板で出ていた疑問…”まきさんの血液型”を訊くことをコロッと忘れていました。まきさんからは「何かあったらTELしてよ、何でも訊いて」と、なんとも有難いお言葉を頂いてきたんですが…「血液型は何ですか?」なんて電話、できませんよね~。
 でも、ずっと謎だった”こおろぎ’73を辞められた時期”に関しては、教えていただくことができました。「僕は101に残っちゃったんだよね。こおろぎ’73だけでパンポロリンに出ることになったとき、パンポロリンと101で、101を選んじゃったの」ということでした。で、抜けた まきさんの代わりに、大倉さんが入られて「あそびましょ!パンポロリン」がスタートしたみたいです。
 考えてみたら…歌のお兄さんの まきさんというのは、私の中ではピンとこないので、「ステージ101」に残られたというのは納得いく話ではあります。(でも、ビクターのお遊戯物CD等で演じられている まきさんは、それはそれで良い味を出されてるんですが)
 そうそう、特撮の歌などで一時期活躍していたジャパン・エコー・シンガーズのリーダーをされていたのも まきさんなんですよね。Otomiさんが その話を振ると、まきさんは「大勢をまとめるのって大変だよ」と、しみじみ語ってらっしゃいました。

<「花咲じいさん」>
 もうひとつ、まきさん関連で初耳の話題…。
 「花咲じいさん」が大ヒットしたというのは、以前、×おろぎ’03ライブ前座(<「ライブじゃなくて前座」…と、岸さんからつっこまれました)で聞いてきた通りですが、この歌、CMで歌われているのは別人だったんですね。歌が売れたのでレコードを出すことになり、「こおろぎ’73という変わったグループがいるから歌わせよう」ということになったんだそうです。
 CMで歌われていたのは”くろちゃん”なんだそうですが……くろちゃんってどなたなんでしょう? 黒沢裕一さんかと思っていたんですが、それは私の勘違いでした。…くろ、くろ、くろ…クロード・ダンさん??? ああ、わっからな~い。<詰めが甘い
 その話題が出たとき、まきさんは指パッチン付きで「シュッシュ…♪」とお尻を振り振り歌ってくれました。
 まきさんは「岸のより大きくなっちゃった…」なんて言いつつ、台本にサインもしてくれました。私が岡山から来たと知ると、「おお~っ」と、両手でもって握手までしてくれました。とても気さくでノリの良い方でした。
 その後、まきさんは別のファンの方に呼ばれるようにして、「電話して」という言葉を残し、去っていかれました。まきさん、ありがとうございました!

…「電話して」で思い出した話…
以前、そらぴちさんに借りた「NHKグラフ」の1973年4月15日号に掲載されていた まきさんの紹介には、ファンに電話番号を教えてしまい、ひっきりなしに自宅に電話が掛かってきて困っている気の毒な人…というような文章が書かれていましたっけ。

<和田昭治先生>
 ジャパン・エコー・シンガーズの話が出たとき、岸さんが「俺もオヤジと、人を集めてコーラスしてたことがあるんだよ」とおっしゃいました。私の頭の中では すぐに、岸さんが「オヤジ」と呼ぶ方が和田昭治先生だと繋がらなくて、岸さんがオヤジダンサーズのように、オヤジコーラスをされている場面を妄想してしまいました。去年の10月に岸さんにお会いしたとき、 教えていただいたことあった、あの話じゃないですか!>自分
 そして岸さんは、話題の和田先生を呼びに…。ぼんやり突っ立っているだけの私ったら…も~、ほんとにスイマセンでした。
 和田先生は、血色の良い にこやかな顔をして登場されました。真っ赤なベストを着ていらして、「還暦みたいに、こんなの着せられちゃって…」とおっしゃってました。
 岸さんは、緊張で固まっている私の代わりに「彼女は こおろぎ’73のサイトを作っていて、曲紹介をしてくれている」…と、アピールしてくれたのでした。
 こおろぎ’73の名を耳にした和田先生は、「こおろぎ’73ってのは、オレが作ったんだ」とおっしゃってましたっけ。
 あと、和田先生の口から聞いた衝撃的な話題としては、タンバリンのことがあります。歌唱指導の際に、和田先生がタンバリンで生徒の頭を叩くという話は、若子内悦郎さんのサイトやなにかで聞いたことがあったのですが、私はそれは、タンバリンの皮の部分で「タムタム」と叩くと思っていたのです。がーっ、枠の部分なんですね!? 角でガツーンとやるんですか? 厳しいプロの世界を一瞬垣間見たような気がしてしまいました。

 こおろぎ’73に関連の深い方々を、次々に紹介してくれた岸さん、本当にありがとうございます。かぜさんも、まきさんも、和田先生も、岸さんの紹介がなかったら、きっと遠巻きにお姿を拝見するだけでお終いで、こんな楽しい(一部、恐ろしい)お話を伺うことはできなかったと思います。

<津島さ~ん>
 今回、最後まで参加できるかどうか分からなかった津島さんですが、パーティーのときの岸さんの話では、「アー坊は夜の部が終わる頃までに駆けつけるって言ってたけど…」ということでした。私は、パーティー後には すぐ帰る予定だったので、今回は津島さんには お会いできないなと思ったのでした。実際は、津島さんはコンサート終了までにコクーンに行くことはできなかったようです。だから、たとえ夜の部を観ていたとしても会うことはできなかったんですけどね。
 平日のコンサートだったので、お仕事をされていたら、参加どころか観に来ることさえ難しいとは思っていました。仕事を終えてから渋谷まで…と考えるだけでも大変そうです。
 そういうわけで、残念ではありますが諦めはつきました。
 ただし、次回、次々回のコンサート出演を期待してしまいます。

 懇親会も終わりが迫り、出演者の皆さんが集まって全員で歌を歌うことになりました。(会場全員で合唱した歌は「マイ・マイ・マイ」でした)
 岸さんは、こおろぎ女たちに「まだいるよね?」と確認されてから移動していかれました。そういう何気無い言葉に、岸さんの持つ優しさだとか細かい配慮がにじみ出ているように感じられて、尻尾をパタパタ振りながら「いつまでも待ってますーっ」と言ってしまいたい衝動にかられました。<誰も「待て」なんて言ってません
 そして実際、岸さんは歌の後に戻ってきてくれて、夜の部の準備で着替えに向かうまで…最後の最後まで、こおろぎ女に付き合ってくれたのでした。毎回毎回、岸さんの優しさに甘えさせてもらっているなあと思っています。
 何から何まで、岸さん、ありがとうございました!

 その後、いつもネット上でお世話になっていたマグノリアさんや、るんさんとお話できる時間もありました。いつぞや101公式サイトの掲示板で私の鼻にキューピッドの矢を放ち、岸さんと鼻血仲間になる縁を作ってくれた りかりんさんからも声を掛けていただき、しかも、キレイな石のプレゼントまでいただいてしまいました(感激!)
 HNで御馴染みの方たちと直に会うことが出来て、そういった意味でも、パーティーに参加できて良かったと思っています。


 どなたが出演されるのか分からないまま、あまり期待することなしに101サポーターに登録したのが3月末。
 岸さんから、舞台に参加できるかもしれないと教えていただいたのが4月はじめ。
 その後次々と、公演のニュースや、津島さんと連絡が取れたという話や、岸さんの全公演参加というお知らせを頂き、さらには、9月には×おろぎ’03のライブ(前座)観賞というイベントまであり、今回のコンサートまでの間、とても満ち足りた気持ちで過ごしてきました。
 だけど…、日付を数えて待ち続けていた日が過ぎ去っていった後の、この喪失感はいったい…。(まだ、コンサートのメイキング・ビデオテープという特典が残っているんで、今後も楽しみはあるんですが…)
 叶わないかもしれないと思いつつコンサートでの生歌を夢見ていた頃は、もっともっと控えめだったはずなんですけど。いざ、その夢を実現してもらえるのだと分かってしまうと、「もっと聴きたい」「次はいつ?」と、どんどん我儘な希望を口にするようになっていく自分がいて、ちょっと怖いです。でも、希望を言うだけなら許してもらえるでしょうか…。

 今度は、こおろぎ’73 カムバぁ~~~~~~ック!!!

「101のレポートに、そういうオチって有り?」
いいんです、ここは こおろぎ’73サイトなんだから」


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